歴史的な建築作品を受け継ぎ、山中湖で暮らすオーストラリア人一家から学ぶ建築保全の道のり

インテリアデザイナーとして世界で活躍するオーストラリア出身のケイティー&アッシュ夫妻は子育てのための地として自然豊かな山中湖を選びました。元々東京を拠点にしていた彼らがこの土地を選んだきっかけとなったのは、アントニン ・レーモンドから学んだ建築家・三沢浩の別荘建築を発見したことだったそうです。大地との見事の融合が果たされたこの作品の名称は「EAERTH HOUSE」。素晴らしい建築を受け継いだ後の、お二人の建築修繕や保全に取り組む姿勢について学んできました。

建築家へのリスペクト


建築家・三沢浩

経歴/1955年東京藝術大学建築学科卒業。レーモンド建築設計事務所勤務。1963年カリフォルニア大学バ-クレー校環境デザイン学部講師を経て、1966年三沢浩研究室主宰。1991年三沢建築研究所設立。

主な作品/蔵春閣、吉祥寺レンガ館モール、深大寺仲見世および水車館、柴又寅さん記念館、東京大空襲・戦災資料センターなど。山中湖には三沢浩の別荘建築作品が複数残っている。アントニン ・レーモンドの師にあたるフランク・ロイド・ライト研究の道でも著名で、ライト関連の著書も多くある。

ケイティ&アッシュ夫妻は1970年代の建築雑誌から当時のアースハウスの資料を熟読しながら、ボロボロになったこの建築をできる限り100%元の状態に復旧する活動を始めた。第1フェーズだけでその修繕期間は8ヶ月にも及んだ。アースハウスは地形に沿うように自然増殖したような、超多面的に箱を組み合わせたフォルムだ。各部屋から見渡す景色には変化があり、また内部の導線は緩やかに間仕切りされ、それでいて緩やかに繋がっている。そのため家族内のコミュニケーションの取り易さ、在宅ワークをするための程よい隔離、その両面を可能にしている。

引き算の美学

修繕を行うことが名建築保全の第一歩目となります。ボロボロになってしまい古びた建築のポテンシャルを活かすためには、どのように修繕していくかが一番の肝になります。

古き建築は複数の住まい手によって引き継がれてきたケースが少なくないため、後に増築がなされたり、内装における意匠変更が行われていることが多いことも実情です。

当時偉大な建築家たちが知性と熱量を注ぎ実現した作品においては、元々十分に優れた設計がなされているため「足し算、掛け算的な美学」だけで復旧と美しさを両立させることは大変困難です。

そこで、名建築の保全にあたって立ち返るのは「引き算の美学」です。ケイティ&アッシュ夫妻が修繕において行った内容は非常に参考になるものでした。

建築保全を学ぶための12の質問

1.ここに来る前、お二人は東京に6年半住んでいたそうですね。山中湖に引っ越そうと思ったきっかけは何ですか?

A.きっかけはこの家です!この家を知るまでは山中湖がどこにあるのか、どれだけ美しい街なのかも知りませんでした。夫のアッシュはいつもネットでクールで面白い家を探していました。この物件を見て私たちは興味をそそられました。私たちはゴールドコーストのビーチで、アッシュはメルボルンの郊外で育った。東京を拠点していた6年と合わせて、過去20年間はずっと都会暮らしでしたが、2人ともメルボルン郊外の自然の中で育っていたこともあり、幼い娘のためにも自然の中での生活に戻りたかったのです。

2.以前から東京ではない地方を拠点にしたいと考えていたのですか?

A.以前から、週末の旅行や休暇に使えるようなウィークエンドハウスを東京以外のどこかに買いたいと思っていました。長野周辺の物件もいくつか見たのですが、東京から車で行くにはちょっと遠すぎました。

コロナ禍にあった2021年、私はフルタイムで在宅勤務をしており、アッシュは娘のパパとしてフルタイムで働いていました。私たちは「ウィークエンド・ハウス」の現実について話し合った。毎週金曜日はとても疲れているので、毎週末に移動することもも難しい。そこで「都会に住んでウィークエンド・ハウスを持つ代わりに」私たちは発想を逆転させ「地方に引っ越して通勤すること」に決断しました。

3.どのように移住先を見つけたのですか?

A.アッシュは趣味で不動産のウェブサイトを見るのが好きで、東京だけでなく、日本全国で見つけた素晴らしい家や土地の物件を私に見せてくれていました。

私たちは長野の物件も何件か見て、買おうとしたこともあったんだけど抽選に外れてしまって。何気なく探し始めてから約4年後、私たちが本気になったとき、彼はネットの販売情報でこの建築を見つけました。3日もしないうちに、私たちはすでに車を予約し、すぐに東京から山中湖まで行き、物件を見学しました。そして購入を即断しました。すべてがあっという間でした!(笑)

4.家を探す当初から建築家による特別な建築を探していたのですか?

A.特定の建築家による特別なデザインの家を探していたわけではありません。楽しくて風変わりな家を探していました。ユニークさと歴史があるもの。

その家の個性は何なのか?どんな特徴があるのか?私たちはこの家に物語を持たせたかった。

この家を設計したのは三沢浩という建築家で、彼はチェコとアメリカの著名なモダニズム建築家アントニン・レイに師事していました。最も重要なこと、それは私たちがそのストーリーの一部になりたかったという感情でした。

5.初めてこの建築を訪れたときの印象は?

A.ウェブサイトに掲載されていた間取り図を見て、ユニークで珍しい建物だと思いました。

写真は(ほとんどの不動産サイトと同じように)質が悪く、分かりにくかったのですが、かろうじて内部のパイン材のクラッディングなど、これは素晴らしい建築なのではないか?と察することができる写真を見ることができました。

しかし初めて訪れた際、外側の雨戸がすべて閉め切られ、古くて重いカーテンがかかっていて、全体がとても寒くて暗い印象を持ちました。しかし、そのような状況でも、私たちはこの家が「良い骨格(形)」を持ち、日照に最適な方角(南向き)であることは分かっていました。

日当たりは南向きで申し分なく、長年にわたる雨漏りで内壁は水で汚れていましたが、この家が特別なものであることは十分に理解できました。また、不動産売買の担当者が雨戸を開けるまで、この家から富士山が見えるとは知らなかったです。素晴らしい景色を実感して、すぐに購入を決めました!

古い建築保全の道を学ぶためにリアリティのある内容です!外壁材の変更、断熱施工、薪ストーブの導入によって断熱性向上や冬の暮らしに役立つ設備を新設したことに加え、一部減築を行っていることや外壁材によって隠されていた大窓を再び発見し復旧したことなど、センス溢れる施工内容だったことがうかがえます!修繕費費用についても伺っていきます。

6.この建築を復旧するためにどのような修繕が行われたのですか?


A.この家は元々夏の別荘として使われていたものですが、私たちは住まいとしてこの建築を復旧するつもりでした。この地域は1月から2月にかけては気温がマイナス20度まで下がることもあるので、早急に「冬支度」をする必要がありました。私たちはまず以下のことを優先しました。

- 外部シャッターボックスとボイラー室の解体

- すべての屋根のシート張り替え(計10箇所)

- 新しい外壁材(スイスから輸入したサーマルウッド/日本の外壁材の厚みとスイスから輸入した外壁材の厚みは異なり、冬を越すために必須条件だった)

- 新しい断熱材(壁と屋根)

- コンクリート外壁塗装

- 古い縁側の取り壊し、全面的な改築と汲み取り。

- 二重ガラスの窓(一部)

- 腐った構造体の予期せぬ修理(木アリと水害によるもの)

- 家全体の新しい電気配線

- 家全体の新しい配管(冬場の水道管凍結防止のための電気コイルヒートシステムを含む/凍結防止のため)

- ペレットストーブの新規設置(メイン・リビング/キッチン、ダイニング・エリアの主要熱源のため)

- 家全体の暖房の新設(部屋の電気ヒーターを含む)

- 敷地周辺の古く危険な大木の除去

- 除湿機5台の設置(カビを防ぎ、空気の質を改善するため)

- ソーラーパネルと7kwバッテリーの設置

7.購入費、修繕費にはどのくらいの金額と期間をかけましたか?

A.家自体にかかった費用は600万円(土地約685㎡、家140㎡)でした。暮らせる水準まで復旧するための第1フェーズとして、修繕費は現在までに約1200万円を費やしています。第2フェーズでは、ソーラーパネルによる改修費用としてさらに約500万円をかける予定です。

最終段階として、内部の充実感を高めるための細かな内装やガーデニングを第3フェーズとして更に約500万円をかける予定です。

8.修繕に取り組むにあたって何かコンセプトなどはありましたか?

A.今までもこれからも、私たちの焦点は100%修復であり、家を元のデザインに戻すことです。これが私たちのリノベーションの方法論です。これは最後まで続きます!

幸運なことに、この家の所有者(元の所有者で施主の孫だった!)が、このプロジェクトが掲載された1970年代の建築雑誌を持っていました。私たちはそれを「この建築のバイブル」として使ってきました。

私たちがこの家を購入したとき、この家は何年にもわたり無愛想な(あまりセンスの良くない)増築が繰り返されていました。例えば、1970年代の美しいオリジナルの水平木張りは、1980年代後半のある時期に取り除かれていました。ある部分はベージュの偽タイルに張り替えられていたし、ところどころ雨漏りし、ボロボロになっていた。もともとはスチール色だった金属屋根は、マルーン色に塗装されていた。構造的には問題なかったが、塗装が剥げてかなり古ぼけた感じになっていた。

さらに、元々渡り廊下にあった窓の大部分が醜い被覆材で覆われていました。これも当時の資料がなければ発見できなかったものです。

これを発見し、クラッディングを取り除くことで再び大窓が現れたことは、この修繕プロジェクトの中で最高の瞬間のひとつでした!

9.修理の過程で苦労したことはありましたか?

A.率直に言って「ハウスドクター」のクリスとアケミという優秀な建築業者のおかげで、改修作業はとてもスムーズに進みました。彼らは私の親友から紹介されました。

彼らのきめ細かなアプローチと素晴らしいコミュニケーションによって、私たちは常に同じ方向を向いてこの修繕プロジェクトに取り組むことができました。

唯一驚いたのは家の構造の一部が、アリによる木材の腐朽、いくつかの水害、そしていくつかの予想外のアスベスト壁があったことです。しかし有り難いことに、彼らのはプロセスを重視しながら解決策を導くプランを立ててくれました。

10.実際に住んでみて、この建築に対する理解は深まりましたか?

A.家に対してだけでなく、建築家のビジョンに対して、より深く理解できるようになった。この家は、季節の移り変わりの中で、景観の変化、光の動き、気温の変化など、環境とどのように相互作用するのかを見ることで、家そのものの姿が現れてくる。

1年を通して、風景が変化し、光が動き、気温が上下する中で、この家が環境とどのように相互作用しているかを見ることは素晴らしい体験です。この家は、良いデザインと良い建築が50年以上経った今でも時の試練に耐えていることの証だと思います。

11.第2フェーズと第3フェーズの修繕で楽しみにしていることはありますか?

A.第2フェーズの内装工事では、1970年代を彷彿とさせる「通り抜け窓」をキッチンに取り付け、キッチンとダイニング・ルームをオープンにし、より多くの光を取り入れるをとても楽しみにしています。バスルームとトイレの改修も楽しみにしています。これらのスペースに2つの異なる個性が生まれることを楽しみにしています。

また、できればすべてのメイン・スペースに青いリノリウムの床を敷きたいと思っています。

第3フェーズの造園工事では、裏庭のリデザインを行い、芝生を敷き詰め、焚き火を設置するのが待ち遠しいです。メインツリーの下には焚き火台を設置し、夏の夕日や冬の星空を満喫できるよう、バーベキュー場も設ける予定です。

私たちへのメッセージ

12.日本の建築愛好家の皆さんに、建築保存の作品魅力や難しさについて何かコメントはありますか?

A.日本では、古い家には価値がないというレトリックが常に存在しています。政府、保険会社、建設会社は30~35年経ったら家を取り壊すべきだと言っている。(実際にはそう言っていなくても、住宅ローン控除の仕組みや法定耐用年数の仕組みがそれを物語っている。)

これは全くのゴミだと。このような古い建築の価値は金銭的なものだけではありません。むしろ、金銭的な価値を超えているのです。

それは、建築設計の質、間取りの方向性、私たちがその家とどのように相互作用し、反応するかという問題なのです。

私たちがこの家を購入していなければ、次の買い手はこの家を取り壊していたか、あるいはリフォームしていただろうと思います。魂のこもらない白いプラスチックの箱に改築していたかもしれません。残念なことに、日本のこの年代の住宅ではよくあることなのです。

この家の前の所有者は、私たちがこの家をかつての輝きを取り戻す計画を持っていることを知って、とても安心したようでした。私たちは昨年、彼と彼の妻を昼食に招待し、第1フェーズの改装を見学してもらった。

「天国の祖父もあの素晴らしい建物を見たらさぞかし喜んでいることでしょう。」と言葉をかけてくださいました。

この言葉を聞けただけで、問題解決のための厳しい施工、細部へのストレス、そして週末の現場訪問に費やした8ヶ月間も報われた気がしました。

自分たちがこの家の物語の一部になりたかったという想いが生んだ建築の復旧とこれから

ケイティさんから最後に一言

前のオーナーは、この家について個人的な歴史をたくさん教えてくれました。

例えば、彼の祖父が京都で著名な実業家として興味深い人生を送ったこと、彼の母親がこの家を譲り受け、彼女の美しい富士山の写真を展示するミニギャラリーとして使っていたこと。そして最後に、前オーナーがここで会社の慰安会や家族の集まりを何度も開いていたこと。

前オーナーがここで開催した多くの会社の慰安旅行や家族の集い。この家にはこれらの思い出が物理的に刻み込まれている。畳敷きの布団収納に隠された座敷の布団収納に隠されたミニ神社。黒ずんだパイン材の壁板。木製の階段の手すりには、ビールを飲んだグラスの水跡が残っている。

「アース・ハウス(本作品の正式名称)」の新しい住人である私たちは、自分たちを所有者だとは思っていない。所有者ではなく、管理人だと考えています。この家を管理するのは私たちの仕事です。

ここで家族を育てながら、私たち自身の新しい思い出を作ることで、これまでの思い出が守られるようにするのです。

ここで家族を育てていくのです。

お話を聞いて

私は古い建築のリサーチのために山中湖に足を運んだことがきっかけで、たまたま彼らの存在を知りました。ケイティさんにコンタクトを取って建築見学、インタビューに伺ったのは2023年の秋でした。彼らは快くこの取り組みを引き受けて下さり、家族で温かく迎えてくださいました。

建築家・三沢浩の設計の素晴らしさ、ライトやレーモンド の系譜を受け継ぎ、美しい自然と建築を複雑に、また有機的に融合させた素晴らしい建築を目の当たりにしました。お話を伺うにつれ、この2人の類まれな三沢研究や現代的なハイセンスによる復旧活動なしにしてこの美しい建築復旧はなしえなかったことが分かってきました。

そこには、オリジナルの復旧を重視する「引き算の美学」があり、また目に見えないレベル、目に見えにくレベルにおいては断熱性や熱源を高めるための細やかな素材選定や施工が行われており「足し算の美学」によって住環境としての充実が実現していることも分かりました。このような施工や実現には技術やセンスによる問題も大きかったでしょうけれども、私が最も魂を揺さぶられたのは、彼らの情熱であり、熱量でした。

このインタビューを読めば、彼らの日本の社会に対する鋭い考察が含まれていることをご理解頂けることと思います。その中にはオーストラリアの文化と日本の文化の違い、古い建築に対しての価値観の違いに関する記述もありました。

日本の古き良き文化や遺産を再発見していくためにも、私たちが彼らの生き方やアイデアから学ぶべきことがまだまだたくさんありそうです。

聞き手:シェアアーキテクチャー